一体全体。 旧暦大晦日。
いったいぜんたい、、、
どうしたって言うんだろうか。
僕は走っていた。
今日は旧暦大晦日。
ズレにズレてやっと取った飛行機のチケット。片付けに行くんだ。
そう、カタをツケに僕は一年半過ごした大分県のとある町に帰る。
おんぼろの車はバッテリーが逝ったらしい。
今日は大家さんが、ブースターケーブルを持って来てくれる。
『一緒に走れば止まっても大丈夫だろ?』
いつもお世話になってばかりの大先輩だ。
新しい心持ちで小春日和の東京の下町を走る。
『いつもギリギリだ』
新しい心持ちは、だんだんといつも通りに包まれていく。
2017年の締めは故郷東京で過ごした。
いつも僕が送り迎えをしていた彼女が久しぶりに『おかえり!よく来たね!』と空港で迎えてくれた。
それから約一ヶ月半の間、整理と精算をするかのような日々を過ごした。
それはグレゴリオ暦の年末から始まり、土用を過ぎてやっと旧暦大晦日、僕はチケットを手にした。
旧暦、二十四節気ってヤツは意識し出すとビックリするくらいピタリと来る。
だからって僕は考えてどうこうするわけじゃないんだけど、勝手にそうなってしまう。
色んなコト、本当に本当なんだろうかって。
何だか、このままじゃいけないような氣がして。
それは、人の評価とか、社会のことじゃなくて、僕は僕の『本当』をやっているのかって、、、
大体僕はチョット周りとはズレている。
それは多分、あるがままでいなかったからだろう。
ズレていれば離れ、ズレたなりの周りがあるかもしれないし、孤独かもしれない。
どっかで中途半端に取り繕って生きて来たはずだ。
考え出したら、まるで濁流に押し流されるように、なんだかモヤモヤな感じで僕は東京に帰って来た。
出稼ぎでもしてくるわって。
いい先生を見つけたから会ってくるわって。
それは本当でチョット違う。
とにかく動きたくなったのだ。
ここではない何処かへ現象だ。
僕は迷っていた。
二択でも三択でもなくて、地平線しかない草原や砂漠、もしくは水平線しかない海の真ん中に放り出されたかのように。
自由だぞ。やってみろよ。
って言われているかのように。。
最近世間では習い事が流行っているらしい。
それも一から十まで、全て用意してくれるような習い事が人気があるらしい。
自由である事。
好きにしていいってコトは難しいコトなんだ。
そんな傾向を象徴するかのような出来事が一昨年の夏起きた。
盆踊りとHOUSE〜TechnoのDJが混ざったイベントでの事。
浴衣は持参出来ればして下さい。
無ければ数着貸出出来ます!着付けもします!
○○時〜盆踊りレクチャー。
皆でフリを覚えて、○○時からライブ盆踊り!
盆踊りには沢山の人が集まった、皆で楽しく踊って、さぁDJタイム!となったら誰一人踊る人は居なくなった。
音楽的趣向はあるだろうし、田舎での事だから陽が沈む時間には皆帰ると言うのも解る。
ただ、盆踊りで太鼓を叩いてずっとフロアに居た僕は事の一部始終を観ていた。
チョットDJに混ざって太鼓を叩いてみたけれど、DJに悪いかと、僕もゴハンを食べにフロアを去った。
後日大家さんも象徴的やねと、この日の事を話していた。
一から十まで用意してあげる事がイベント成功の秘訣やね。
と、そこで習い事が流行っている話しを聴いたんだ。
最近僕は武術の講座に通い出したが、その講座も体験に何度か来る人は居るけれど、先生の『自分で考え気付かなければ学びにならない』と言う方針に、離れて行く人が多いらしい。
以前選挙に出たある候補者のバイト初日の話しが凄く心に残ってる
昔、○○ってクラブでバイト始めて、「おはようございます」って初出勤したらいきなりテキーラ飲めって出されて、飲んだら「○○、踊って来い」って。
フロアに行ったら皆壁に張りついてる。
バイトだから仕方なく踊り出したんだけど、そしたら一人、また一人ってだんだん皆踊りだしてさ。
その時、オレは一番最初に踊り出る男になろうと思ったんだ。
ヒトはいつから思考停止するんだろうか。
いつまで自分で創り出した遊びをしているんだろうか。
いつから同調圧力を感じているんだろうか。
いつから歌い、踊る事に、人の目を感じるようになるんだろうか。
僕は今人前で歌い踊るコトが恥ずかしいと思う。
それは自意識過剰だってわかっている。
バカバカしいけどその籠の中から出る事が不安になってしまったような氣がする。
そうこうしているウチに表現したい欲求はどんどんなくなっていく。
それはまるで自分を説得して納得しているかのように。
ヒトが表現する事は、本能的なモノだ。
歌い踊る事は、その中でも誰にでもすぐに出来る、根源的なモノだったはずだ。
コトバを知らなくても、コトバが通じなくても湧き上がるモノだった。
ところで僕は、空港に着いて猛ダッシュでチェックインカウンターに走って、ギリギリセーフだった。
いつもどうしたって僕はセーフだった。
ギリギリだろうが、痛手を負おうが僕はいつも必ずセーフなんだ。
預け荷物の列に並んで、「チェックインしてるけど、これマズイんじゃ?」と係員に声を掛けると、「預け荷物は締め切ったので、LAWSONで荷物送って、急いで下さい!」と、言われてまた走った。
急いでゲートに走った。
荷物検査場で、「只今搭乗口を締めたところなので、カウンターに戻って下さい。振替の御案内は可能かと」。って。
ついにアウト。
オマエは今迄のままじゃダメなんだよ。
全然踊れてないんだよ。
って言うのは多分、自分がそう言っているんだと思う。
僕は自分が気に入らないんだ。
もうつまらないんだ。
ツマラナイヤツとはつるみたくないんだ。
ありのままを愛すればいいって言われた事もあるし、良く見かけるコトバだ。
自分に納得しようって、自分を説得し出す人を大勢観て来た。
伝家の宝刀ありのまま。
そんな事を気に掛けてた自分は、何か自分にも予感してたのかもしれない。
認識は世界だ。
一体全体。(一物全体。)
振替は明日。
旧暦元旦である。